プラハのカレル橋完全ガイド:地元在住者が教える歴史と伝説、30体の彫像と橋塔、見逃せないスポットまで(2026年)

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Discovering Pragueのアドリアナとマテイ

現地の専門家アドリアナ&マテイが執筆

アドリアナとマテイ・ハロウスコヴィは、人気ブログ Czech the World を運営するトラベルブロガーです。

マテイはプラハ生まれでずっとこの街に住んでおり、アドリアナは10年以上前にここに引っ越してきました。

60か国以上を旅してきましたが、いちばんよく知っている場所を挙げるなら、この街です。

カレル橋はプラハでもっとも古い石橋です。1402年からこの街の顔であり続けてきました。橋の上には30体のバロック彫刻が並びます。プラハはもちろん中央ヨーロッパ全体を見ても、屈指の技術遺産であり歴史遺産です。プラハの滞在がたった2日でも、カレル橋だけははずせません。

1870年まではプラハ橋、あるいは石橋と呼ばれていました。洪水で流されたユディト橋の跡地に架けられた橋で、チェコでは2番目に古い橋にあたります。プラハでもとくに訪れる人の多い名所で、ヨーロッパで行きたい場所リストの上位に挙げる旅行者も少なくありません。

Prague Guide by Locals

カレル橋とその周辺のスポットは、当社の無料アプリの地図に掲載されています。 ここでストーリーを読んでから、歩きながらアプリを開いてみてください。

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カレル橋――見逃したくないもの

カレル橋は1992年からユネスコ世界文化遺産の一部です。これほど堂々とした構造物が今なお見る者をうならせるのも当然でしょう。カレル4世の時代から「王の道」はこの橋を通っていました。歴代のチェコ王はプラハ城での戴冠式に先立ち、この道を進む栄誉にあずかったのです。いまは橋の上で大道芸人や絵描きに出会えます。

マラー・ストラナ側の橋塔

マラー・ストラナ側の入口は2本の塔が守っています。背の低いユディト塔はロマネスク様式で、以前のユディト橋の一部でした。もう1本は新しく背の高いゴシック様式の塔です。

塔に登ってみたい方は、入場料100チェコ・コルナです。

カレル橋――見逃したくないもの
夜のマラー・ストラナ側の橋塔――プラハのカレル橋

旧市街側の橋塔

橋の反対側には旧市街橋塔が立っています。ヨーロッパでもっとも美しいゴシック建築のひとつとされる塔で、聖ヴィート大聖堂も手がけたペトル・パルレーシュが築きました。この門は、戴冠に向かうチェコ王たちがくぐる凱旋門のような役割も担っていました。

見学は毎日10時から、入場料は100チェコ・コルナ。上までは138段の階段が待っています。

カンパ島への階段――ジョン・レノンの壁への道

プラハ城から「王の道」を歩いてくるなら、ヴルタヴァ川に浮かぶ小さな島カンパにも寄り道してみてください。マラー・ストラナ側の塔から右手にわずか150メートル進むと、カンパへ下りるカンネル階段があります。そのまま大修道院長の水車小屋(Velkopřevorský mlýn)や、ストリートアート好きに人気のジョン・レノンの壁まで歩けます。

願いがかなうと言われる場所

言い伝えによると、カレル橋には心に秘めた願いをかなえてくれる場所があるそうです。洗礼者聖ヨハネ像と、聖ノルベルト・聖ヴァーツラフ・聖ジグムントの像のあいだに、古い格子がはめ込まれています。これは聖ヤン・ネポムツキーの遺体がヴルタヴァ川に投げ込まれた出来事を伝えるもの。欄干には星が5つついた大司教の十字架もあり、遺体が落とされた地点を示しています。

この手順どおりにすれば願いはかなうとされています

左手の指をそれぞれ欄干の青銅の十字架の星に添え、右手は格子に彫られた横たわる聖ヤン・ネポムツキーの像に触れます。そして左足を、敷石にはめ込まれた小さな測量点に乗せてください。

カレル橋――見逃したくないもの

カレル橋への行き方

カレル橋はマラー・ストラナと旧市街を結んでいます。プラハ城から始まる定番の観光ルート、いわゆる「王の道」をたどるなら、マラー・ストラナ側からモステツカー通りを抜けて橋にたどり着きます。対岸の旧市街側では、橋はクシジョヴニツケー広場から始まります。旧市街広場からはカルロヴァ通りを進めば橋に出られます。人混みを避けたいなら、冬のプラハがおすすめです。

マラー・ストラナ側から――最寄りの公共交通

橋にいちばん近い停留所はマロストランスケー広場(Malostranské náměstí)です。モステツカー通りを進めばマラー・ストラナ側の橋塔まで一直線。地下鉄なら最寄りはマロストランスカー(Malostranská)駅(緑のA線)で、そこからマロストランスケー広場まではトラムでひと駅です。

旧市街側から――最寄りの公共交通

最寄りの地下鉄駅はスタロムニェスツカー(Staroměstská)(緑のA線)。トラムもヴルタヴァ川沿いに止まります――スタロムニェスツカーまたはカルロヴィ・ラーズニェの停留所です。

プラハでの乗り継ぎはこちらで調べられます(プラハ市交通局)。

カレル橋への行き方
冬のカレル橋でスキーをしたときの一枚

プラハのカレル橋にまつわる興味深い話

  • 1621年、旧市街広場で処刑された12人の貴族の首を入れた籠が、見せしめとしてカレル橋に吊るされました。
  • 1723年から1866年まで、橋はオイルランプで照らされていました。1866年にガス灯へと切り替わります。
  • 開通後しばらくは渡るのに通行料が必要でした。通行料が廃止されたのは1816年です。
  • 1841年まで、プラハでヴルタヴァ川を渡れる道はカレル橋だけでした。
  • 1870年、K・H・ボロフスキーの提唱により「カレル橋」という名が正式に定まりました。それまではプラハ橋、あるいは石橋と呼ばれていました。
プラハのカレル橋にまつわる興味深い話
カレル橋は何世紀にもわたってプラハの要であり続けてきた

カレル橋の建設と規模

プラハ橋の工事が始まったのは、ユディト橋が洪水で流されてから15年後の1357年でした。それまでに設計、資金、資材をそろえる必要があったのです。

カレル橋の基本データ

  • 設計者:プラハ市民のオットー、のちに聖ヴィート大聖堂を手がけたペトル・パルレーシュ
  • 長さ:515.76 m
  • 幅:9.5 m
  • 高さ:13 m
  • 橋脚の数:15基

数字の魔法

新しい石橋の礎石を据えたのはカレル4世その人でした。日時は1357年7月9日の午前5時31分と決められ、これは王付きの占星術師が選んだものです。数字を1357(年)、7(月)、9(日)、5.31(時刻)と並べると 1 3 5 7 9 7 5 3 1 という列になり、前から読んでも後ろから読んでも同じになります。

歴史家のなかには、聖ヴィートの日にあたる6月15日を有力視する人もいます。

使われた材料

橋は硬い砂岩のブロックを積み上げ、砂岩のスタッコ・モルタルと水硬性石灰でつないでいます。橋の芯は水を抜いたうえで、ヴルタヴァ川の水面より下に築かれました。19世紀末の修復工事では、ゴシック期のオークの杭が距離標とともに見つかっています。

中世の職人たちはモルタルに牛乳、ビール、ワイン、尿、血、さらには砂糖といった有機物を混ぜていました。橋に使われた材料の総重量は約10万トンにのぼると見られています。石の大半はプラハ近郊の採石場から運ばれました。

カレル橋の建設と規模
カレル橋から望むプラハ城

カレル橋の歴史

この場所にあった橋たち

はじめは丸太を束ねただけの、いわゆる「敷居」と呼ばれる渡しがあるだけでした。場所は今のカレル橋とまったく同じです。

  • 10世紀の文献にはすでに木の橋の記述があります。
  • 1170年ごろ、ヴラディスラフ2世が石橋を架け、妃ユディトの名がつけられました。
  • ユディト橋は1342年までプラハを支えましたが、春の洪水と雪解けの流氷で壊れてしまいます。
  • カレル橋が完成したのは1402年(当時は石橋、またはプラハ橋と呼ばれていました)。
  • 1870年に現在の名前「カレル橋」になりました。
  • 1965年からは歩行者専用になっています。
カレル橋の歴史
カレル橋の上の絵描き

カレル橋を走った乗り物

1759年には細かな交通規則が定められ、歩くのも馬車で通るのも橋の右側のみと決められました。1883年には「コニュカ」と呼ばれる馬車鉄道が走りはじめ、1905年には路面電車が登場します。その3年後、電車が橋を傷めていることがわかってバスに切り替えられました。ところがバスも橋にはよくなく、公共交通は1932年にゴムタイヤのバスが導入されるまで止まっていました。橋の上の公共交通は第二次世界大戦まで続き、1965年からカレル橋は歩行者専用になりました。

カレル橋にまつわる噂と伝説

カレル橋の建設にはいくつもの言い伝えがあります。いちばん有名なのが卵の話。橋を頑丈にするため、職人たちが生卵をモルタルに混ぜることにしたというのです。ところがプラハじゅうの卵をかき集めても足りず、王は国じゅうから卵を運ばせるよう命じました。木の荷馬車がチェコ王国のすみずみまで走り、割れやすい荷を運んだといいます。

ところがヴェルヴァリという小さな村の人々は、その目的を取り違えました。道中で割れてはいけないと心配し、卵をゆでてから送ったのです。プラハじゅうがヴェルヴァリの人々を笑い、その話は何世紀も語り継がれることになりました。

では、卵の話は本当だったのでしょうか

2008年の科学的な分析では、修復のときに採取したモルタルから卵のたんぱく質が検出されました。ところが2年後、別の分析がこれを否定します。2010年の分析によれば、モルタルに卵は入っておらず、代わりにワインと牛乳の痕跡が見つかったというのです。

何が入っていたにせよ、カレル橋が上質な「材料」で築かれたことは確かです。だからこそ何世紀も立ち続けてこられたのでしょう。

カレル橋に並ぶ彫像たち

カレル橋には30体のバロック彫刻が並んでいます。最初に据えられたのは聖ヤン・ネポムツキーの青銅像で、1683年に、この橋から川へ投げ込まれた出来事を記念して置かれました。ほかのバロック彫刻はおもに1707年から1714年にかけて加えられ、最後の1体である聖キリル・メトディウス像は1928年に設置されています。

彫刻の多くは砂岩製です。現在は現代の作家によるレプリカへ順次置き換えられており、オリジナルはプラハ国立博物館のラピダリウム(石造彫刻館)か、ヴィシェフラトの地下砲郭にあるゴルリツェ・ホールで見られます。

カレル橋に並ぶ彫像たち

旧市街からマラー・ストラナへ向かって右側の像

  • 聖母マリアと聖ベルナルド像――マチェイ・ヴァーツラフ・イェッケル作、1709年。オリジナルはプラハ・ヴィシェフラトのゴルリツェにあります。
  • 聖母子と聖ドミニコ・トマス・アクィナス像――マチェイ・ヴァーツラフ・イェッケル作(1708年)。オリジナルはプラハ国立博物館のラピダリウム所蔵。
  • 十字架とカルヴァリオ群像――十字架はカレル4世の時代からある、橋でもっとも古い装飾のひとつ。砂岩の彫像はエマヌエル・マックスが1861年に制作し、古い青銅の十字架は1629年のものです。
  • 聖アンナ像――マチェイ・ヴァーツラフ・イェッケル作(1707年)。オリジナルはヴィシェフラトのゴルリツェ・ホールにあります。
  • 聖キリル・メトディウス像――カレル・ドヴォジャーク教授作(1928〜38年)。橋に最後に加えられた彫像で、カレル大学の記念の年に据えられました。
  • 洗礼者聖ヨハネ像――ヨセフ・マックス作(1855年)。オリジナルは国立博物館のラピダリウム所蔵。
  • 聖ノルベルト・聖ヴァーツラフ・聖ジグムント像――ヨセフ・マックス作(1853年)。
  • 聖ヤン・ネポムツキー像――カレル橋でもっとも重要な像。唯一の青銅像で、遺体がこの橋からヴルタヴァ川へ投げ込まれてから300年を記念して据えられました。ヤン・ブロコフ作(1683年)。
  • パドヴァの聖アントニオ像――ヤン・オルドジフ・マイヤー作(1707年)。
  • 聖ユダ・タダイ像――ヤン・オルドジフ・マイヤー作(1708年)。
  • 聖アウグスティヌス像――イェロニーム・コールまたは息子のヤン・ベドジフ・コール作(1708年)。オリジナルはヴィシェフラトのゴルリツェ・ホールにあります。
  • 聖カエタヌス像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1709年)。
  • 聖フィリッポ・ベニツィ像――ミハル・ベルナルド・マンデル作(1714年)。
  • 聖ヴィート像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1714年)。
  • 聖コスマス・聖ダミアヌスと救世主像――ヤン・オルドジフ・マイヤー作(1709年)。

旧市街からマラー・ストラナへ向かって左側の像

  • 聖イーヴォ像――オリジナルはマティアス・ベルナルト・ブラウンが1711年に制作。カレル橋のために作られた2番目の像です。オリジナルは国立博物館のラピダリウム所蔵。
  • 聖バルバラ・聖マルガリタ・聖エリザベート像――ヤンとフェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1707年)。
  • ピエタ像――ヤン・ブロコフ作(1695〜96年)。オリジナルはペトシーンの丘のふもとにある病院の中庭に置かれました。
  • 聖ヨセフと幼子イエス像――ヤン・ブロコフによるオリジナル(1706年)は1848年の戦闘で壊れ、いまはヨセフ・マックスの作品に置き換えられています。
  • 聖フランシスコ・ザビエル像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1711年)。オリジナルは国立博物館のラピダリウム所蔵。
  • 聖クリストフォロス像――エマヌエル・マックス作(1857年)。
  • 聖フランシスコ・ボルジア像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1710年)。
  • 聖ルドミラ像――マティアス・ベルナルト・ブラウンによる1720年のオリジナルは、ヴィシェフラトのゴルリツェにあります。
  • アッシジの聖フランチェスコ像――彫刻家エマヌエル・マックス作(1855年)。
  • 聖ヴィンセンティウス・フェレルと聖プロコピウス像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1712年)。
  • トレンティーノの聖ニコラウス像――イェロニーム・コール作(1708年)。オリジナルはプラハ・ヴィシェフラトのゴルリツェ所蔵。
  • 聖ルイトガルド像――カレル橋でもっとも完成度の高い作品とされています。マティアス・ベルナルト・ブラウン作(1710年)。オリジナルは国立博物館のラピダリウム所蔵。
  • 聖ヴォイチェフ(プラハの聖アダルベルト)像――フェルディナント・マクシミリアン・ブロコフ作(1709年)。オリジナルはヴィシェフラトに保管されています。
  • マタの聖ヨハネ・ヴァロワの聖フェリクス・聖イヴァン像――橋でもとくに有名な群像のひとつ。F・M・ブロコフ作(1714年)。
  • チェコの守護聖人・聖ヴァーツラフ像――ヨセフ・カミル・ベーム作(1858年)。

どの像が誰なのかを正確に知りたい方はMapy.czをご覧ください。カレル橋の彫刻がひとつ残らず名前つきで載っています。

カレル橋博物館

橋の歴史をもっと深く知りたい方は、旧市街のクシジョヴニツケー広場に面したカレル橋博物館へ。開館は毎日10時から19時まで、入館料は170チェコ・コルナです。

見学はヴルタヴァ川のガイド付きクルーズと組み合わせることもでき、その場合の料金は340チェコ・コルナになります。

カレル橋博物館
ヴルタヴァ川に架かるカレル橋

ライブカメラ

いまのカレル橋の様子はライブカメラで確認できます。

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